お知らせ News

【レポート】第2回「カラクムル・フェスト」開催

2017年2月7日 13時36分

 自然保護寄附講座では、今年度から「サイエンティフィックジャーナリズム」という新しい講義を立ち上げました。これは、学生たちが思い思いにテーマを選び、自ら取材を行って、その内容を記事にまとめるというものです。記事の書き方は、プロのサイエンスジャーナリストの方にご指導をいただいています。本講義を受講された渡辺さんのレポートを紹介します!

******************************


メキシコで新しい音楽祭 第2回「カラクムル・フェスト」開催
〜マヤ系先住民言語でラップ!民族の誇りを現代音楽で歌う若者たち

人間総合科学研究科
世界文化遺産学専攻2年次
渡辺裕木

 2016年10月下旬、メキシコ・ユカタン半島カンペチェ州の片田舎で、第2回「カラクムル・フェスト」が開催されました。これはその名の通り、世界複合遺産カラクムルの熱帯保護林に散らばる6つの共同体(村)を会場に、地元の人々が主体となって開かれる音楽の祭典です。観光客が訪れる事もない森林地帯の奥深くに点在するこれらの共同体では、豊かな自然に囲まれているものの人々の生活は貧しく、同じユカタン半島でも、カリブ海に面したリゾート地カンクンなどとは対照的な、時代を遡ったかのような光景が広がっています。





 この地域の住民の大半を占めるのが、古代マヤ文明を築いた人々の末裔であるマヤ系先住民で、彼らは貧しさゆえに、昔ながらの生活様式を、例え不便であっても継承するしかない一方で、美しい文化、守るべき伝統を楽しむ余裕はありません。このような状況を打破する新しい取り組みの一つとして、一昨年、NGO団体「マヤ荘園基金(Fundación Hacienda del Mundo Maya」)」は、同地域の文化の真価を住民ら自身が再確認できる場の創造を目指し、第1回「カラクムル・フェスト」を企画しました。本稿では、昨年秋に開催された第2回同イベントの様子を、同地域の歴史などの背景を交え、文化人類学の視点からレポートします。

歴史や文化を表現する歌や踊り~第2回「カラクムル・フェスト」の演目
第2回「カラクムル・フェスト」では、地元カンペチェ州の出身者を中心とするプロ或いはアマチュアのアーティストらが、メキシコ各地の民族舞踊や伝統的な楽器の演奏、古代文明の儀礼を再現した踊り、民謡を現代風の音楽にアレンジしたものなどを披露し、メキシコ文化の多様性が表現された音楽祭となりました。出演アーティストは、まず実行委員会が出演希望者を募り、作品に攻撃的な歌詞などを含まない事、オリジナリティーと創造性に優れている事を基準として絞り込んだ後、共同体の人々の意向が強く反映するオーディションによって選ばれました。音楽祭の目的の一つは「ムンド・マヤ(マヤの世界)」と呼ばれる同地域の文化の、住民自らによる再認識、再評価ですが、同地域の先住民族共同体の中には、メキシコ国内の別の地域の先住民の移住により形成されたものもあり、したがって同音楽祭の演目も、マヤ系先住民文化に関連があるものばかりではありません。長い時を経て、良くも悪くも折衷や変化を遂げた現在のメキシコ先住民族文化の、率直な表現の結集と言えるプログラムだったのではないでしょうか。


マヤ語ラッパー、パット・ボーイの登場
今回の出演者の中に、音楽祭の音楽監督の推薦により出場が依頼されたパット・ボーイというマヤ語とスペイン語のバイリンガル・ラッパーがいました。現在19歳のパット・ボーイは、未だに多くの村民が日常的にマヤ語を話す共同体の一つで成長し、若干12歳でマヤ語で歌うレゲエ歌手の影響を受け、また、マヤ語には韻を踏む要素が多いと気付いた事から、自らが作ったマヤ語のラップを歌い始めました。
パット・ボーイの作品は民族音楽を古臭く感じている若者たちにも受け入れやすいようで、徐々に広い範囲で認められつつあります。今回の舞台では、カンペチェ・シンフォニー・管弦楽団と競演し、「ムンド・マヤ」への憧憬の気持ち、自分たちが受け継ぐマヤの血の誇りを歌いました。彼のパフォーマンスは音楽祭を多いに盛り上げ、第2回「カラクムル・フェスト」のハイライトとなりました。



メキシコ文化の多様性と先住民問題
ところで読者のみなさんは、「メキシコ」という国名にどのようなイメージを持っていますか?色彩の豊かな町並みや民族衣装、サボテンのある風景、サッカーやボクシング、古代文明の遺跡、面白い所では「アメリカ映画で犯罪者が逃げて行く国」として記憶している人もいるかもしれません。このようなイメージの多彩さは、メキシコが辿ってきた歴史と、そこから生まれた文化の多様性に端を発するもので、この国の最大の魅力の一つです。
 今から三千年以上前から、天文学や建築学に優れた数々の文明が興亡を繰り返した地、メキシコは、16世紀、スペインに征服されました。しかし先住民の人々は、植民地支配の下、社会的に不平等な立場に追いやられつつも、宗主国スペインの文化を吸収し、新しい文化を育んだのです。例えば今なお一部の先住民族が継承する民族衣装や、聞く者にエキゾチックで独特な印象を残すフォルクローレ(ラテンアメリカの民族音楽)は、先スペイン期(スペイン人が入植する前の時代)のセンスと、欧州の服飾文化が融合して生まれたものです。
19世紀に入ると、約300年間に及ぶ植民地支配はようやく終わり、メキシコの近代国家としての発展が始まりましたが、先住民の社会的地位の低さや貧困はなかなか改善されず、不平等な制度や政策に尊厳を傷つけられた先住民が武装蜂起し、地域によっては内戦状態に陥るほどでした。特に「カラクムル・フェスト」が開催されたカンペチェ州を含むユカタン半島全域では、中央政府の締め付けに反発した先住民族を中心とする地域住民によって、分離独立を主張する運動が起こり、対立し合う社会層それぞれがアメリカやイギリスに援助を求めた為、一時期は欧米列強も巻き込んだ紛争にも発展しました。このような歴史のある地域で、先住民自身の意識を大切にした「カラクムル・フェスト」のようなイベントが企画される事には、非常に大きな意味があると感じます。その後1910年に勃発したメキシコ革命の影響で、ようやく先スペイン期や先住民の文化に対する前向きな評価が出始め、新憲法の定めるところにより、種族による差別も形式的には撤廃されました。しかしそれから1世紀が経とうとしている現在も、差別に根ざした貧困や、それに関連して生じる教育問題などが解決されないまま残り、メキシコの先住民問題の決着は今なお遠いところにあります。

NGO団体「マヤ荘園基金」の取り組み
 「カラクム・フェスト」を主催するマヤ荘園基金(2002年設立)は、マヤ地域の文化的建造物である荘園建築を利用した、90年代の観光開発事業から発展したものです。世界複合遺産にも認定されたカラクムル周辺の自然と文化を、基金は設立以来ずっと有意義に活用してきました。
 この地域の貧困問題を解決に導く取り組みを行っている基金では、先住民に自然環境への理解を深めさせることで、保全と活用の工夫を促す啓蒙活動や、伝統技術を継承する民芸品作家の活動の場を広げる企画などを実施してきました。活動に共通する特徴は、外部から資源や人材を導入して先住民を「働かせる」のではなく、先住民が自分たちの守るべき自然や文化を理解し、自主的に経済活動にも繋げていく事のできる知識や技術をトレーニングしている事です。「カラクムル・フェスト」でも、基金の協力は一時的なものと想定されており、近い将来共同体の人々自らがイベントを全て管理、運営する事が期待されています。


おわりに
根が深く複雑なメキシコの先住民族問題は、今日でも日常的に報道される各地の抗議行動などからうかがい知る事ができます。国の政策にも希望が見えず、暗澹とした気持ちにさせられます。しかし、今回取材した、「マヤ荘園基金」の地域に根差した活動は、久しぶりに聞いた明るいニュースでした。先住民自身の啓蒙を目的とする「カラクムル・フェスト」では、差別や貧困を憂うに留まらず、先住民文化の魅力を積極的に発信しており、パット・ボーイらマヤ文化の新しい発展を担う若者たちも登場しています。
パット・ボーイのラップは、マヤ語の歌詞に多少のスペイン語表現を混ぜる事で、彼のマヤ文化に対する愛情や敬意を豊かに表現しています。これは、メキシコ国内の少数民族言語話者が5年毎に約10%の割合で減少している中、マヤ語を「生きた言語」として継承するユニークな民族文化活動です。興味深いのは、素顔のパット・ボーイが若者らしい服装や言葉を使い、肩の力が抜けた率直な受け答えをする青年で、「少数民族の待遇改善」や「伝統文化の保護と伝達」に熱弁を振るったり、役所の建物を囲んでシュプレヒコールを叫ぶ、いわゆる従来の「活動家」のイメージとはほど遠い人物だということです。そんな彼の音楽活動は、型にはまった「無形文化財保護活動」には期待し難い、「現代のマヤ文化」創造の一つの可能性とも考えられるのではないでしょうか。
「カラクムル・フェスト」を含む「マヤ荘園基金」の取り組みを継続・発展させる事ができた時、今後カラクムル周辺の共同体がどのように変わって行くか、他の地域の先住民問題にも良い影響を与えうる活動へ成長する事を期待しつつ、見続けて行きたいと思います。長い歴史を持つ現代のメキシコ先住民族が、現代社会の中で尊厳を傷つけられず生きる為の、また、自分たちへの待遇を改善させて貧困から抜け出す具体的な活動へとつながって行く事を願っています。

【レポート】サスティナブルコーヒーが切り拓く未来の可能性

2017年1月25日 11時07分

 自然保護寄附講座では、今年度から「サイエンティフィックジャーナリズム」という新しい講義を立ち上げました。これは、学生たちが思い思いにテーマを選び、自ら取材を行って、その内容を記事にまとめるというものです。記事の書き方は、プロのサイエンスジャーナリストの方にご指導をいただいています。本講義を受講された菊池さんのレポートを紹介します!

******************************

サスティナブルコーヒーが切り拓く未来の可能性

生命環境科学研究科 生物資源科学専攻
菊池 美紗子

 

年間900万トンの生産量を誇り、世界中で愛される嗜好品、コーヒー。

しかし、コーヒーがどこからやってくるのか意識して飲んでいる人は多くはないだろう。コーヒーは、赤道付近に位置する70ヵ国以上の国々の畑からやってくる農作物なのである。

  

左から、コーヒーの収穫風景、コーヒーの実、ハワイのコーヒー農園(筆者撮影)

 

 この数年、日本では「ブルーボトルコーヒー」が上陸したことなどがきっかけとなり、雑誌やテレビでもコーヒーの特集が増えた。コーヒー豆の栽培も注目されるようになり、「サスティナブルコーヒー」という言葉も散見するようになった。直訳すると「持続可能なコーヒー」となるが、一体どういう意味なのだろう。その実態を探るため、2016725日、東京大学で開催された「第47回コーヒーサロン:サスティナブルコーヒーとは何だろうか?」という講演会を取材した。

 

 満員の会場。「サスティナブルコーヒーとは何だろうか?」という、少々難しいテーマにも関わらず、このテーマに対する聴衆の関心の高さが伺えた。

東京大学東洋文化研究所教授の池本幸生氏

 

世界が“持続的な開発”に目覚めるまでの道のり

 講演会ではまず、東京大学東洋文化研究所教授の池本幸生氏が「持続可能な開発とは?」というタイトルで、「持続可能な」「サスティナブル」という考え方の派生や意味、そしてそれに通ずる思想について解説した。

 持続可能な開発という言葉が生まれるより前に、資源の枯渇に警鐘を鳴らした知識人として紹介されたのがバックミンスター・フラーである。フラーは「宇宙船地球号」という言い回しを使い始めた人で、地球を一つの閉じた空間という意味で宇宙船に喩え、有限な化石燃料を消費し続けることの愚かさを指摘した。のちに経済学者であるケネス・E・ボールディングが、フラーの言葉を引いて『来たるべき宇宙船地球号の経済学』というタイトルのエッセイを書いている。

 フラーやボールディングが彼らのオリジナルな思想を展開したのは1960年代であるが、日本でこうした思想が意識され始めたのは1970年代。この頃、日本では四大公害病を始めとした公害が問題となり、また二度の石油危機が起きた。「高度経済成長を遂げた日本で、資源の有限性や環境汚染が強く意識され始めた」と池本氏は考察した。

 次に同氏は、現在でも「持続可能な開発」の言葉の原義として引用されている1987年の「ブルントラント報告書」を紹介した。国際連合の「環境と開発に関する世界委員会」(通称、ブルントラント委員会)1987年に発行した最終報告書であり、「将来の世代の欲求を満たしつつ、現在の世代の欲求も満足させるような開発」という概念が書かれている。

 最後に池本氏は、現在世界が取り組んでいる行動指針として「Sustainable DevelopmentGoals(SDGs)」を紹介した。20159月の国連総会で採択されたこの指針は、社会的、経済的、環境的という3つの視点から構成されている。トリプルボトムラインと言われるこの視点は、SDGsだけでなく、フェアトレードラベルやレインフォレストアライアンスなどの認証団体のそれぞれの指針にも採用されているという。

 

()ミカフェート社長の川島良彰氏

 

コーヒー栽培が直面する問題の数々

次に、()ミカフェート社長の川島良彰氏が「サスティナブルコーヒーとは?」というタイトルで、コーヒービジネスにおけるアンサスティナブルな問題について、社会、経済、環境の三つの視点から包括的に解説した。本記事では、経済、環境面での問題について特に着目し紹介したい。

 2001年、コーヒーの取引価格の大暴落が世界中のコーヒー農家を襲った。悲劇の始まりは1997年、コーヒーが投機ファンドの対象になったことであるという。コーヒーは徐々に価格を上げていったが、そのバブルは2001年崩壊し、一時1ポンド318セントまで上昇したコーヒーの価格は1ポンド41セントまで暴落したのだ。

 コーヒー農家は、コーヒーを作っても生活していけない状況に追い込まれ、農園は次から次へと夜逃げ同然に放棄された。後に「コーヒークライシス」と呼ばれ、コーヒービジネスの持続性を脅かした大事件である。

 コーヒー業界はこのコーヒークライシスによって大いに揺らぎ、「サスティナブル」という言葉を意識するようになった。生産者がコーヒーを作って生活していけなければ、コーヒーを売る側もいずれは破滅の一途を辿ることに気づいたのだ。

 さらに川島氏は、「可哀想な生産者」ばかりクローズアップされる状況にも警鐘を鳴らした。コーヒーの取引価格が上昇すれば、可哀想な輸入業者や焙煎業者が生れる。この状況もやはり、コーヒークライシスと同様にアンサスティナブルな状況なのである。「コーヒーのビジネスに関わる全てのサプライチェーン(コーヒーの栽培から販売までにある全ての段階)がサスティナブルにならないかぎり、サスティナブルなコーヒーは実現しない」と同氏は強調した。

 アンサスティナブルな問題はコーヒーの取引価格だけに起因するものではない。冒頭でも述べたように、コーヒーは農作物なのであり、コーヒー農家は近年のめまぐるしい気象変動に悩まされている。乾季と雨季のパターンの変化、ラニーニャやエルニーニョ、大雨や干ばつ・・様々な気象変動の影響は、収穫期の変化、生産量の減少、インフラの破壊など多岐にわたっており、しかもその一つ一つが無視できないほど深刻である。温暖化によりコーヒーの栽培適地が減少しつつあることも問題だ。以前は標高1200m以下でしか発生しなかったコーヒーの病気が、近年では1700mくらいでも発生するようになってきたという。また、標高が100m上がると気温が0.6下がるため、気温が上昇すれば従来よりも標高の高い地域でコーヒーを栽培しなければならない。「温暖化の影響で2050年にはコーヒーの栽培適地が今の半分になるのではとも言われている」と川島氏は述べている。

コーヒーの花(20151月にタイで筆者撮影)

 

コーヒーで未来は変わるのか

 

 以上のように、「持続可能なコーヒー栽培」を実現するための道のりは平坦ではなさそうだ。しかし、日陰で栽培が可能なコーヒーは、実は環境保全も両立させながら、サスティナブルに開発を進めていくための最良の手段となりうる、と筆者は考える。

 国際コーヒー機関(ICO)によると日本のコーヒーの消費量は世界で4位である。我々一人ひとりが、あの黒い液体を飲む度に、遠い国で栽培されているコーヒーの木を巡る情勢を知り、想いを馳せ、行動を起こすようになれば、未来は変わるかもしれない。

【レポート】日本野鳥の会インターンシップ

2017年1月20日 14時34分

日本野鳥の会 インターンシップレポート

 

 

周嘉韵(シュウ カウン)

筑波大学大学院人間総合研究科世界遺産専攻

Internship experience at Wild Bird Society of Japan

Zhou jiayun

World HeritageStudies & World CulturalHeritage Studies,

Graduate School ofComprehensive Human Sciences, University of Tsukuba

 

 2016年4月下旬から8月下旬まで、自然保護寄附講座の支援を頂き、東京港野鳥公園、ウトナイ湖サンクチュアリ、および鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリの三か所においてインターンシップを行いました。これらはすべて日本野鳥の会の職員の方によって管理がなされています。インターンシップを通じ、各サンクチュアリの特徴と直面している課題を学ばせていただきました。全体を通じ、非常に充実し、有意義なインターンシップでした。

このインターンシップに挑戦したいと思ったきっかけは、昨年(2015年)、自然寄附講座の授業に日本野鳥の会の方がいらしてくださり、組織の方針や活動などについて紹介をいただいたことによります。このときのお話は私にとってとても意義深く、NGOという組織について強く興味を持つようになりました。また同じく自然寄附講座のセミナーで、北海道のサンクチュアリにインターンシップに行かれた先輩の経験を聞き、ぜひ自分も行きたいと思いました。

 

1.東京港野鳥公園

東京港野鳥公園では4月28日から8月6日にかけて、合計17回、インターンシップをさせていただきました。業務内容としては、(1)母国語の中国語を活かしたホームページの翻訳と展示物の説明文章のチェック、(2)イベントの準備、実施と片付けの補助、(3)団体対応の補助、4)ラインセンサス調査や植生調査などの補助、(5)データ入力(イベントアンケート、鳥類データなど)、(6)環境整備(竹の伐採)、(7)レンジャーミーティングへの参加などでした。東京港野鳥公園は、都市公園と鳥獣保護区を兼ねている場所です。日常業務は、公園としてのイベントの開催や管理、そしてサンクチュアリとしての環境整備や生き物調査などをメインとしています。

野鳥公園のインターンを通して一番印象的だったのは、イベントの部分でした。公園を回りながら周囲を観察し、問題を解くポイントラリー;普段入れない前浜で水生動物を採取し観察する海辺発見隊;また年間を通じて稲の種まきから収穫まで合計7回、親子で参加する田んぼクラブなど様々なイベントが開かれていました。それらのサポートを通じ、日本の環境教育をより深く理解できるようになりました。

特に田んぼクラブについては、都会の子がこんなに積極的に参加してくれるのか、と最も印象に残りました。中国では、高校二年生が三日間、田舎を訪れ、田植えや外来植物の駆除に参加し、また農業生活を体験するコースがあります。私も昔それに参加しましたが、新鮮に感じたこと以外、あまり強い印象は残りませんでした。周りの友達もほぼ同じ感覚で、農業は嫌だと思う人も少なくありませんでした。個人的には、農業体験はとてもいい環境教育ですが、高校のときではあまりにも遅いのではと思います。中国では一部でまだ農業に対する偏見があります。そのような状態で、高校生がある種の先入観を持ちながら農業体験するのはかえって逆効果なのでは?とも思いました。東京港野鳥公園でのイベントも、子供は虫などの生き物には強い好奇心を持っているのに対し、大人の方が怖がっているのが多く見られました。先入観を持たず、好奇心が旺盛な時期に、自然の中で環境教育を行うことはとても大切だと感じました。

中国では近年モンスターペアレントが急増し、学校の遠足をやめようという声が増えています。そのため、もともと少なかった学校外での環境教育が、さらに減少する傾向が見られます。日々、深刻化する環境問題に対し、高い意識を普及させていくことは、とても大切です。そのような中、学校の外で環境教育を行うことは最も効果的な方法だと思います。中国の環境教育の改革は、待ちきれないほど緊急の課題だと思いました。


図1.田んぼクラブの様子。緑色の服のスタッフはボランティアの方 (撮影:周嘉韵) 



図2.海辺で遊ぶ日イベントの様子。 コメツキガニを探しているところ (撮影:周嘉韵

2.ウトナイ湖サンクチュアリ

8月10日から13日まで、北海道苫小牧市にあるウトナイ湖にインターンに行きました。北海道の生態系は、東京や筑波などとは大きく違って、見たこともない植物や初めて聞くさえずりなど、とても新鮮に感じました。東京港野鳥公園のような都市公園とは違って、ウトナイ湖は広い面積を持つサンクチュアリです。業務内容も、イベントの開催より、環境調査やネイチャーセンターでの展示が主となっています。インターンシップの業務としては、ウォークラリーイベントのサポート、外来植物や鳥類の調査、自然情報収集ポスターの作成などを行いました。

北海道でも外来植物の問題はかなり深刻です。今回は、レンジャーの方が定期的に行っている外来植物の調査に同行させていただき、オオアワダチソウが半分以上を占めている区域などを、把握しました。レンジャーの小山さんは植物に非常に詳しいので、小山さんの姿を見て「さすがレンジャーだ」と思いました。そのほか、勇払湿原の自然を保全するため、希少鳥類の調査が定期的に行われていました。日本野鳥の会は以前、こうした調査の結果を元に勇払湿原の特性を保つために三つのコアエリアを決め、それをふまえた保全構想を提出されたそうです。今回は、アカモズの調査に同行させていただきました。残念ながらアカモズの姿は見えませんでしたが、とてもやりがいのある仕事であることを認識しました。


図3.ウトナイ湖サンクチュアリネイチャーセンターの展示物 (撮影:周嘉韵

図4.羽にケガを負ったコミミズク。野生鳥獣保護センターでリハビリ中 (撮影:周嘉韵
 

 3.鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリ

8月15日から8月19日までは、鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリでインターンシップをさせていただきました。ネイチャーセンターは冬しか開館しないため、館内作業が少なく、また台風の影響で作業が途中で中断してしまうときもありました。そのため、タンチョウ採食地調査や、野外セミナ―など、屋外での活動が主となりました。

今回はタンチョウと地域の人々との関わりが一番印象的でした。鶴居村では地元の方々とタンチョウとの関係はすこし複雑で、タンチョウは誇りや身近な鳥であると同時に食害問題や牛を驚かす存在でもあります。そのため、貴重なタンチョウを守ると同時に、地元の方々の利益も保つことが課題になっています。そして給餌をきっかけにタンチョウの数が33羽から1800羽に増えました。これは、成功とも言えますが、給餌への依存性が増えたことにより、密度過多となって、タンチョウ間に伝染病が起こり易くなったこと、また交通事故が多発することになったなど、様々な課題が出て来きました。そのため10年間で餌を半分に減少させる計画が立てられました。こうやってタンチョウへの影響を考えつつ、状況によって環境調査や整備を行う仕事は本当に素晴らしくやりがいがあると思いました。

また国立公園内の私有地の開発問題や鳥獣救護センターの飛べないオジロワシ処理問題、メガソーラー建設計画や湿地再生事業などについて、現場を回りながら丁寧に説明していただきました。これは大変よい勉強になりました。

 
図5.タンチョウ採食地調査の様子。左:原田さん 右:鈴木さん (撮影:周嘉韵



図6.鈴木さんによる釧路湿原再生計画説明 (撮影:周嘉韵

 

三つのインターンシップを通して、都市公園としての管理業務から、広大なサンクチュアリでの管理業務まで、さまざまな体験をさせていただきました。またそれぞれ抱えている課題も認識できました。こうした多様な職場でのインターン体験は、私にとって大変印象的で、大きく成長することができたと感じました。さらに、どの場所においても、レンジャーの方の知識の豊かさと環境保護への熱心な思いは、まったく変わらないと思いました。

最後に、お世話になりました東京港野鳥公園の西川さん、嶋村さん、森さん、山崎さん、杉浦さん、青木さん、古澤さん、ウトナイ湖サンクチュアリの中村さん、和歌月さん、小山さん、瀧本さん、そして鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリの原田さん、鈴木さん、櫻井さんにこころから感謝申し上げます。

年末年始の休業のお知らせ

2016年12月28日 16時18分

年末年始の休業のお知らせ

筑波大学自然保護寄付講座事務局は、下記の期間は休業とさせていただきます。

期間 : 2016年12月29日(木)~2017年1月3日(火)

お問い合わせへのご返答等は、1月4日(水)より順次行って参ります。
何卒ご理解のほど、よろしくお願いいたします。

自然保護寄附講座事務局

第5回NCセミナーのお知らせ

2016年12月12日 11時38分

第5回NCセミナー(Nature Conservation Seminar)のお知らせ

自然保護寄附講座が主催する、学生向けセミナー、「NCセミナー」を開催します。
気取らず、身近に、自然保護について考えるとても良い機会です。
今回は、自然保護寄附講座履修生の発表会です!
下記のとおり行いますので、講座内の学生はもちろん、講座外の学生も
興味がある方はぜひご参加ください。

日 時:2017年2月20日(月)15:00~17:00
場 所:筑波大学人文社会学系棟 B216自然保護セミナー室
内 容:第一部 インターンシップ報告会
         国際自然保護連合(IUCN)、日本野鳥の会、(株)CTIアウラ
         WWF、トヨタ白川郷自然學校、環境省、IUCN日本委員会(敬省略)

     第二部 学生によるミニ・スピーチ
         テーマ「自然保護について考えたこと」 他





















上記のチラシはこちらからダウンロードいただけます:第5回自然保護セミナーポスター.pdf