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【レポート】気づいて、触れて、感じることが地域を豊かにする

2018年12月17日 16時36分

『「気づいて」、「触れて」、「感じる」ことが地域を豊かにする:筑波山梅林の復興の例から』

生命環境科学研究科 地球科学専攻 阿部紘平


<筑波山梅まつりと梅林>

 今年で45回目を迎える筑波山梅まつりが、2018年2月14日から3月21日の約1か月の間開催された。メイン会場である筑波山梅林内には白梅・紅梅・緑がく梅などの梅が約1000本ある。関東近郊の梅の名所として知られる茨城県水戸市の偕楽園の梅とは異なり、筑波山梅林では剪定によって樹高が低く抑えられている。そのため、文字通り目の前にある梅の花(写真1、2)を見て、香りをかぎ、散策することができる。

 
写真1 園内の梅(筆者撮影)  写真2 園内のろう梅(筆者撮影)

 また、茅葺の展望四阿(あずまや)からは一面に広がる梅の花を望むことができ、春の訪れを感じるとともに気持ちも明るくさせてくれる。さらに筑波山周辺の田園風景、好天時には富士山や東京スカイツリーまで見ることができ、開放感もある。これらも展望四阿からの景色の魅力である。期間中は梅茶のサービスも行われており、園内で行われるお茶会に参加すれば梅に包まれながら抹茶を楽しむこともできる。筑波山の名物であるガマの油売り口上も見ものである。

 筑波山梅林は、1965年に市が梅を特産品とするために既存の松林を開墾して3000本ほどの梅の木を植えたのが始まりとされている(詳細な資料は残されていない)。しかし、その後の人手不足により管理が行き届かなくなったため、梅林は過密状態となり、枝は迷走し、下枝にいたっては枯死してしまうなど、ひどく荒れている状態だった。梅まつりも1970年代から始まっていたが、梅の花の期間のみ若干にぎわう程度だったという。
 そこで、2000年に当時のつくば市長が観光事業の一環として、この梅林を再生するプロジェクトを立ち上げた。これより約10年という歳月をかけて再生されたのが現在の筑波山梅林の姿である。


<地域の力で取り組んだ筑波山梅林再生プロジェクト>

 私は自然保護寄付講座で学ぶ中で、高山植物や農作物が野生動物によって受ける獣害を防ぐ取り組みや、各地のジオパークを維持し、その価値やすばらしさ、面白さを伝えようとする取り組みに関わる人々、また自然に触れその楽しさを伝えようとする人々の熱意や苦労を知っていった。それを通して、ある自然を保護するということは、保護したい自然に対する、地域の人々の認識や関わり方が重要だということを感じていた。そんな中、「生態系の保全と復元」という授業における講義での、筑波大学名誉教授である鈴木雅和先生のお話に非常に興味を持った。それは、筑波山梅林再生プロジェクトについてのお話で、手入れが行き届かずに荒れ果ててしまいそうだった、梅林というつくばに古くからある魅力ある地を、つくば市に暮らす人々が再生して守ったというプロジェクトだった。

 これはまさに、今自分が重要だと感じていたことそのものだと思った私は、今回この筑波山梅林再生プロジェクトを取り上げ、プロジェクト立ち上げ当初に市役所職員として担当された渡邊俊吾さん(現:つくば市経済部産業振興課)と、現在梅林の管理を担当する貝澤毅さん(現:つくば市経済部観光推進課)にお話を伺うことにした(写真3)。

写真3 お話を伺った渡邊俊吾さん(左)と貝澤毅さん(右)

 筑波山梅林再生プロジェクトは、つくば市と筑波大学が共同という体制で進められた。筑波大学からは鈴木雅和先生を中心とした3人の先生方が、市役所からは前述の渡邊俊吾さん(当時は、つくば市商工観光課)が担当となり、筑波山梅林の再生に取り組んだ。このように官学が共同となって一つのことに取り組むという体制は当時としては非常に珍しく、つくば市としても初の試みであった。

 冒頭にも述べた通り、当時の筑波山梅林は梅の花が咲いている約2、3か月の間しか注目されていなかった。しかも、手入れが行き届かずに方々に伸び放題となった梅の樹は、このままでは花も咲かなくなるのでは、ともいわれていた。そこでプロジェクトでは、梅の花がこれからもずっと咲き続け、そして花が咲いていない新緑の時期や実のなる時期にも楽しめる梅林を目指すこととなった。そのために最初に取り組んだのは、伸び放題となってしまった梅の樹の大規模な剪定作業であった。

 東京出身で就職を機に茨城に移り住んだ渡邊さんが梅林再生プロジェクトの担当者となったのは、入職からまだ5年目のときだった。若くて、林業や農業の知識もなかった渡邊さんは、プロジェクトの計画そのものには意見を出せるような立場にはなく、プロジェクトは先生方が主導となって進められた。

 渡邊さんは当時の様子を次のように語ってくれた。「剪定といっても、盆栽を扱う時のような小さなハサミではないのです。信じられないかもしれませんが、チェーンソーで太い枝もバッサバッサと切っていきました。最初は、本当にこれで再び元気に咲くようになるのか、咲かなくなるのではという不安も大きかったです」。プロジェクトが始まった最初の3年くらいは、渡邊さんと同じように、不安を感じた市民の方々からの苦情も非常に多かったという。

 梅の樹の特徴や剪定なども含めて、専門知識は先生方から常に教わる日々だった。それでも自分にも何かできることはあると考え、予算の確実な確保や、通常は業者さんが記録する事業記録書の作成を行い、また梅林を心配する市民の苦情にも対応するなど、先生方がプロジェクトを進めやすくなるように奔走した。

 しかし、そうした日々を送る中で変化が起こる。「先生方から教わって、梅について少しずつ知っていくと、梅に対する興味が湧いて、面白いな、楽しいなと思うようになったんです。そうしたら次は、実際に剪定をやってみたくなりました」。そう思った渡邊さんは小さなハサミを使って、しかもあまり目立たないところで、実際に剪定をやってみた。「するとこれが意外と楽しくて、自分でやったものをお客さんに見てほしい、そう思うようになりました」。

 そのように感じた渡邊さんは梅まつり期間中も剪定をしに現地に赴いた。その姿に気づいたお客さんから梅について尋ねられることもあった。その時は梅の性質や特徴、剪定の仕方、自分で梅の木の世話をして感じた楽しさを伝えた。また、自分が剪定した樹から咲いた花の香りをかいで楽しんでいるお客さんの姿を目にすることもあった。梅林を訪れたお客さんがどのような反応をしているのかを実際に見ることができて、渡邊さんは非常にうれしくなり、またそこにプロジェクトのやりがいや梅林を復活させたい、という思いを強く感じるようになったという。

 また、自分で梅に触れて作業をするという経験を通して、あるアイデアが生まれた。それは梅の苗木の販売である。都心部の人やあまり植物に触れる機会がない人たちも、実際に梅のお世話をやってみたら面白いと思ってくれるのではないか、もっと梅林に足を運んでくれる人が増えるのではないかという考えからだった。これは好評だった(現在は実施されていない)。

 さらに、より梅を感じることができる企画はないか、と考えるようになった。例えば、収穫した梅の実を使った梅干し作り体験や、剪定した枝を用いた草木染体験などができるようなれば、梅をもっとたくさん、そして通年で楽しんでもらえるのでは、と思いついた。

 その他にも先生方を中心にプロジェクト全体で様々なアイデアが提案された。実は万葉集には筑波山を詠んだ歌が16首と、富士山よりも多く詠まれている。そこで、古くから人々に親しまれてきた筑波山を通して、「にっぽん」を感じることができるスポットとして筑波山梅林を整備することが計画された。日本に古くからある萩や紫陽花などを植えたり、つくばに現存する古民家を梅林近くに移築し宿泊施設としたりするなどのアイデアが生まれた。茅葺の展望四阿もこうしたアイデアのもとに作られた。


<成功したプロジェクトと役所としての課題>

 数年に及ぶ取り組みの結果として現在の梅林がどのように生まれ変わったかは冒頭に述べた通りであり、その姿はプロジェクトの成功を示している(写真4)。しかし、その一方で梅干し作りや草木染の体験、古民家の移築など、当時の計画の中には実現できなかったものもある。

 プロジェクトが一通り完了するまでの約17年の間に、渡邊さんも含めて数年おきに市役所の担当者が入れ替わり、計5~6人がこのプロジェクトに携わった。現在の担当者である貝澤毅さんは、次のように話す。「当時の計画書が5年の保管期限を過ぎたことで処分されてしまったのです。後任の担当者は当時目指していた詳細な計画が分からないまま引き継いでいったため、計画が少しずつ変わってしまっています。この点は役所としての反省点であり、課題点です」。いまでも、日本を五感で感じることができる梅林にするという当時のコンセプトはできるだけ残し、本筋は外れないように管理しているものの、担当者の入れ替わりと計画書の保管期限のために詳細は分からなくなり、どうしても当初の計画から少しずつ変わっていってしまう。

 しかしだからと言って、変わることが全くもって悪いことだ、とは言い切れないと渡邊さんは言う。「時代が変われば良いとされる考え方も変わるし、なにより、担当している職員にはそれぞれ、やらなければならないことや、熱意をもってやりたいことがあります。それらに自由に取り組むために、時には過去の計画が分からない方がやりやすい場合もあります。それでも、プロジェクトを通して一本の道筋が通っていることは重要です」。

 現在、貝澤さんは梅まつり期間外にも筑波山梅林や周辺地域を楽しんでもらえるような整備計画を練っている。梅林の麓に整備した森林体験パークフォレストアドベンチャーはその計画の一つである。
 このように、計画そのものは当初から少しずつ変わってきてしまったかもしれないが、渡邊さんから始まった筑波山梅林への思いやプロジェクトに対する熱意は、確実に引き継がれている。だからこそ、私たちは今日の美しい梅林の姿を見ることができるのだ。


<地域にとっての魅力>

 プロジェクト発足当時、地元の人にとって筑波山梅林はそれほど大きな魅力ではなかったようだ。「実際、職員の中には梅林を“あんなもの”と表現する人もいました。ですがそれは裏を返すと、筑波山や梅林は市民にとってそのくらい当たり前の存在だったということです」と渡邊さん話す。貝澤さんも次のように話している。「私は趣味で登山をするので、筑波山にはよく登ります。しかし、同じ市内出身者でもそうした趣味がない人にとっては、眺めはするけれど、登る山ではないという認識のようです」。

写真4 展望四阿から見た梅林とつくばの街(筆者撮影)
     少し時期が早かったため、梅はまだ咲始めたばかり。

 そんな状況で、筑波山という自然の存在を新鮮に捉えることができた渡邊さんのような市外出身者の視点は、梅林の再生プロジェクトを柔軟に進める上で重要だった。

 プロジェクト開始から5年ほど経って、渡邊さんは担当を次の人に引き継ぐこととなってしまうが、梅への思いは持ち続けている。当時実際に触れ、作業をすることで学んだ梅の剪定作業は今でも覚えているという。

 「プロジェクトに取り組む先生方との日々が新鮮で、あらゆることが非常に勉強になりました。なにより、取り組んでいて自分自身が楽しかった。その時に学んだ考え方、楽しかったという経験はその後の仕事にも生かされています」と最後に渡邊さんは話してくれた。


<「気づいて」、「触れて」、「感じて」、「伝える」>

 今回のインタビューを通して印象的だったのは、筑波山あるいは梅林に対する地元の人と地元外の人の視点・認識の差と、その差があったからこそ生まれた、地域の魅力に対する気づき、さらには実際に梅という自然に触れることで楽しさや面白さを感じ、それをみんなにも感じてほしいと思うようになったという渡邊さんの体験談だった。

 どんな地域にも魅力はある。鍵となるのは、それに気づくことができるかどうか。気づくことで初めて、それを守り、維持しようという思いが生まれるからだ。当時の市長や市外出身の渡邊さんが、筑波山梅林の魅力に「気づき」、プロジェクトに熱心に取り組むことがなければ、梅林も今頃は枯れてしまっていただろう。

 また、単なる知識としての重要性ではなく、実際に触れて感じることから得られる感覚というのは、最初の気づきになりうるだけではなく、その気づきを人々に伝播させる上で大きな原動力ともなる。自分が体験して楽しいと思うことで地域の魅力に気づく。そして楽しかった思い出は人に伝えたくなる。そうした気づきと楽しさが連鎖して、地域の魅力の発信と維持に結びつく。

 本記事で「気づくこと」 と 「触れて感じること」 の大切さを少しでも伝えることができていたら幸いである。
 筑波山梅林は現在、通年で楽しめるように、さらに梅林を足掛かりに筑波山全体を楽しんでもらえるように新たな案を計画中だ。知らなかった方や訪れたことがない方はもちろん、訪れたことがある方も、筑波山、そして梅林に是非足を運んでみてはいかがだろうか。その一歩は皆さんの地域や心を豊かにする新たな「気づき」に導いてくれるかもしれない。

2018年自然保護寄附講座公開講座

2018年11月22日 11時26分
学内イベント

筑波大学大学院自然保護寄附講座では、「生態系の保全と復元」をテーマに公開講座を実施しました。
各分野で目覚しい活躍をされている方々を講師としてお招きし、どの講義も活発な質疑がありました。
渡邉守先生、山野博哉先生、西廣淳先生、長谷川雅美先生、ご講義をありがとうございました。

 
 



詳しくはこちらをご覧ください→poster.pdf



【インターンシップレポート】「農林水産省林野庁」岡本奈緒美

2018年11月21日 12時08分
学外イベント

生命環境科学研究科 地球科学専攻 岡本奈緒美

〇はじめに

私は平成30年9月3日(月)~9月14日(金)の2週間(実働日数10日)にわたり、農林水産省林野庁にてインターンシップをさせて頂きました。私たちが住む日本では、国土面積の約7割を森林が占めており、森林は国土の保全、水源の涵養等の多面的機能の発揮を通じて、国民生活に様々な恩恵をもたらす「緑の社会資本」とも言われています。森林の健全な育成を通じて、国土機能など公益的機能を高度に発揮させること、さらに木材の安定供給を図るなど、民有林行政と国有林野事業を行うのが林野庁の大きな役割です。

その中でも私は今回、霞が関にある林野庁本庁、森林整備部計画課海外林業協力室という部署にてインターンシップに参加する機会を頂きました。海外林業協力室は、日本の林業の歴史の中で培われてきた植林や治山等の技術の海外への発信を含む、途上国への技術協力や、気候変動に関する国際的な適応・緩和策に関する事業を実施するなど、林野庁における国際協力を担う部署です。そのため、海外林業協力室には海外勤務経験者が多く、ケニアやパラグアイ等、海外での業務経験についてお話を伺うこともできました。

〇インターンシップの内容

インターンシップの内容は、「途上国における防災・減災」についての資料を収集し、取りまとめ、レポートを提出するというものでした。また、それ以外にも外国からの訪問者のお話を伺ったり、JICAの研修を傍聴し、国際協力取組や海外での植林等の実情について学んだり、資料の作成や翻訳等の事務作業を体験させていただいたりしました。

減災・防災に関するレポート作成においては、主に、資料収集・アイデアの醸成というプロセスを体験させていただきました。イメージしていた業務のスタイルとは異なるものでしたが、新たなプロジェクトを立ち上げる際に基盤となるプロセスであり、発想に新しさやユニークさが求められる非常に重要な業務に携わらせて頂きました。今回作成したレポートも今後の海外林業協力の在り方や展開方向の検討に資するものになれば良いな、と感じています。また、インターンシップ最終日には、レポート内容を海外林業協力室の皆様の前で発表し、質疑応答や意見交換をさせて頂きました。

資料の作成過程や発表後の意見交換において、林業や治山事業に関する動向について説明を受け、それらの活かし方について新たにアドバイスを頂いたり、過去の防災・減災の事例をご紹介いただいたりしたことで、より考えが深められたと感じています。このように、様々な方からの経験談やアドバイスを得つつ案を作成し、さらに意見交換することでより良いものに仕上げていく、というプロセスを通して大きなプロジェクトの計画・実施につながっていくのだということを実感でき、非常に貴重な経験となりました。

JICAの集団研修では、途上国からの出席者と共に森林・自然環境分野におけるJICAの取組や、森林保全に向けたNGO・NPOの取組についての講義を受けました。前者では、講義後の意見交換会で各国が現在日本に求めていることがそれぞれ異なっていることを知ることができました。また、海外への技術協力の形態が「先進国が指導する」ものではなく、「途上国自身が問題と解決策を提示し、先進国が支援する」という形態であることを実感しました。後者では、日本の若者の中で何をしたいのか、どんな職に就きたいのかがわからないという層が増加しているという問題が取り上げられました。この点について、私自身悩んでいる問題でもあったので理解しやすかったのですが、途上国の方々はどうしてそのような問題が出るのかが理解できない、という様子だったのが印象的でした。国の発展度合いや豊かさによって視点が全く異なるのだということを実感させられました。


書類資料の作成や翻訳等の事務作業については、林野庁の職員の方々が普段されている業務の一部について経験してみたいという思いから、こちらから提案してやらせていただきました。資料の翻訳を行った際、特定の語句には定型的な翻訳方法や言い回しがあると指摘を受け、自分の配慮の至らなさを実感するとともに良い勉強となりました。

〇感想・学んだこと

私が林野庁にインターンシップを希望した理由の1つは、自然保護や生態系に関わる仕事につきたいと考えたからです。私は現在、地質学を専攻していますが、野外調査へ行くたびに自然が好きだと感じ、それらを守り、次の世代に残していきたいと感じています。今回のインターンシップでは自然保護に関連して、自然をそのままの形で保護するだけでなく、人の手を入れて整備していくことで持続的に森林を管理していく、という考え方を知ることができました。実は私はインターンに行く前は、自然を保護するという観点から見て、「人の手が入る」ということにマイナスなイメージを持っていました。そのため、林野庁で森林整備や保全の考え方を初めて知った時、私がやりたい自然保護と考え方が異なるかもしれないと考えたことがありました。しかし、インターンシップ中に治山という言葉に出会い、また災害の復興のための治山、防災のための治山など治山にも様々な方法があることを知り、治山が本来起こるはずの自然のサイクルを人の手で補助し、早め、回復させるものであることを理解できました。インターンシップに参加したことで、人の手を加えて森林を整備することへの理解が深まり、このような方法もあるのだと考えられるようになりました。また、自然のサイクルを補助し、促進させる「治山」という事業に非常に興味を持ち、関わりたいと感じました。



上記で述べた通り、今回のインターンシップは業務の一部を体験するのみならず、林業や自然のもつ機能への学びを深める、というものだったように思います。私はこれまで林業に関わることがなかったため、インターンシップ期間中の課題として挙げられた森林という観点からの防災・減災という考え方自体が新鮮でした。そのため、予想以上に知識を頭に入れることに時間を費やしてしまい、担当の方には非常にご迷惑をおかけしてしまったと思います。また、我が国が途上国で防災・減災の取組を実施する際の具体策について、レポートでは具体案にまで十分言及できなかったことが非常に悔しく、心残りです。しかし最終日の発表会で、海外林業協力室の方に、レポート内で気候変動の緩和と適応、EBA(Ecosystem-based Adaptation)とEco-DRR(Ecosystem-based Disaster Risk Reduction)等の用語の違いが分かりやすく整理されているといっていただけ、少しでも海外林業協力室の方の助けになれたことが本当に嬉しかったです。

最後に、今回のインターンシップに参加したことで、自分のやりたいことや未熟な点に気づくことができました。また特に、時間のマネジメントの重要性やコミュニケーションにおける積極性、質問に対してすぐに的確な返答をする能力など、非常に当たり前のことがまだまだ未熟であったことを実感させられた2週間でした。今回のインターンシップで学んだことを無駄にせず、しっかりと今後の生活に活かしていけるよう意識していこうと思います。

末筆ですが、このような機会を与えてくださった先生方、林野庁計画課の皆様、海外林業協力室の皆様、インターンシップ中に様々な面においてご助力頂いた皆様、インターンシップを受け入れていただき、2週間という長い期間なにかと気にかけてくださり、誠にありがとうございました。心からの感謝を申し上げます。このインターンシップで得られた貴重な経験や知識、気づきを活かし、今後も精進してまいります。2週間、たいへんお世話になりました。ありがとうございました。

【インターンシップレポート】「知床財団」瞿芳馨

2018年11月21日 11時39分
学外イベント

【インターンシップレポート】

「知床財団-羅臼ビジターセンター」

人間総合科学研究科 世界遺産専攻 瞿芳馨(クホウシン)

この度私は自然保護寄附講座の支援をいただき、2018年9月3日から9月30日まで、知床財団羅臼地区事務係の拠点施設である羅臼ビジターセンターにインターンシップに行ってまいりました。

知床財団は1988年に斜里町によって設立されました。2005年7月、知床は世界自然遺産に登録されました。そのことをきっかけに、2006年11月、知床半島の南側に位置する羅臼町が知床財団の共同設立者として参画することになりました。知床財団は、地元ならではの創意工夫と努力を重ね、国立公園の現場を担う実働部隊として、「知床を知り、守り、伝える」活動を行っています。羅臼ビジターセンターは、人と知床の自然とを結ぶための拠点の一つであり、知床の自然、歴史、文化、利用に関する展示や映像、解説を通して、知床国立公園を理解し、知床の自然を楽しむための情報を提供しています。


図1: 羅臼ビジターセンター

私は知床財団の羅臼ビジターセンターに所属し、来館者への対応や展示物・掲示物の作成業務を中心に行いました。また、時期によって開催されるルサカフェというイベントのサポートや、財団の職員の方々との野外での草刈り(外来種駆除)、ルサ柵作り、クジラひげ処理などの作業も行いました。羅臼ビジタ-センターは一つの固定された仕事だけではなく、室内と野外を合わせ、様々な仕事ができる職場でした。そのため、インターンシップは飽きることがなく、毎日楽しく、充実していました。


図2: カウンタ―

インターンシップに参加させていただいたおかげで、様々な仕事を体験することができました。以下、いくつかの活動について紹介させていただきます。一つ目はミニレクチャーです。これはインフォメーション業務の一環であり、来館者に展示物を見ていただくだけでは分からないストーリーや自然解説を行う、10分程度の業務です。私は、知床に生息している世界最大級のシマフクロウをテーマにして、2週間ほど発表内容を準備し,インターンシップ期間中、来館者に説明を行いました。


図3: ミニレクチャー

二つ目は自然調査に関する作業です。私が行ったのはVC(ビジターセンター)巡視、自然環境巡視、カラフトマス産卵床調査の3つです。これらの作業はすべて自然環境を把握するためのモニタリング調査です。VC巡視とは羅臼ビジターセンターの運営業務の一つであり、自然情報を収集し、巡視記録を作成し、来館者への説明に利用するものです。この巡視を通して、知床の自然環境の現状を把握することができます。多くの動植物について勉強することができ、知床の自然保護にとって重要な仕事だと思いました。カラフトマス産卵床調査も大切な仕事です。知床ではカラフトマスの資源量が大きく、このことは漁業のみならず、海から森への生態系の循環を担う重要な役割を果たしていることを意味します。そのため、カラフトマスのモニタリング調査の継続は、知床の世界遺産としての価値を守ることにつながります。その調査データは知床世界遺産科学委員会とIUCNにも報告されています。


図4: カラフトマス調査地 

3つ目はヒグマに関する作業です。私が参加した作業はヒグマの解体サンプリング、電気柵のメンテナンス、およびヒグマの糞の採集でした。知床には数多くのヒグマが棲息していますが、観光客や住民とヒグマとの日常的接触、およびそれに伴うヒグマの人馴れが大きな問題となっています。市街地に侵入し、農作物被害が発生することもあります。緊急時には有害駆除をせざるを得ない時もあります。ヒグマの解体サンプリング作業では、捕獲したヒグマの基本データを記入し、外部研究者と共同でヒグマ個体のDNAを調査するためのサンプルを収集しました。また、ヒグマの侵入を防止する電気柵を定期的にメンテナンスする作業をしました。これは、電気柵をチェックするだけではなく、電気柵付近の草を刈る作業も行いました。


図5: ヒグマの解体サンプリング作業

インターンの最後では、「知床エコツーリズム検討会議」に参加させていただきました。この会議には、環境省職員、専門家から地元自治体、関係民間組織など様々な方が出席し、知床の自然状態のみならず、社会環境において現在どのような課題があるのか、持続可能な観光業において今後の方針はどのように決めるのかなどの話を聞くことができました。この検討会議では、行政機関だけでなく、委員の先生方、地域関係団体など多くの人達が集まり、誰もが意見できる場が作られていました。

インターンシップを通して、地域交流および自然保護活動の場へ参加をさせていただき、色々な仕事を体験することができました。とても有意義な時間を過ごすことができたと思います。私は世界遺産について勉強しています。世界遺産である知床の保護と管理について、地域の民間組織はどのように運営されているのか、自分の目で見て、自分の身で体験し、直接感じることができたことが大きな収穫でした。最後に、温かく受け入れて下さった羅臼ビジターセンターの皆様、お世話になった全ての方々に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

注)図2、3、5の写真はビジターセンタースタッフの方にご提供いただきました。