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[レポート] 小さな工夫で大きな効果 ~ナッジと行政の今と未来~

2023年3月2日 16時00分

小さな工夫で大きな効果 ~ナッジと行政の今と未来~

人間総合科学研究群 心理学学位プログラム 小林勇登

 皆さんは日々の中で「これよくできてるなぁ」と感じたことはありますか?写真1は,タバコのポイ捨てを防ぐためにデザインされた吸い殻入れです。「世界一のサッカー選手は?」というメッセージの下に,「ロナウド?」「メッシ?」という2つの吸い殻入れがあり,強制されなくても思わずどちらかに吸い殻を入れたくなってしまう仕組みになっています。現在,人間の行動を科学的に分析した理論に基づき,人により良い行動を促す「ナッジ(nudge)」という手法が世界的に注目を浴びています。今回は,このナッジを取り入れた施策を推進しているつくば市に取材し,その未来を考えるために現状を聞きました。

写真1:つい入れたくなる吸い殻入れ

NPO団体hubbubウェブサイトより引用 https://www.hubbub.org.uk/

【世界各地で広がる「ナッジ」とは?】

ナッジとは,直訳すると「そっと後押しする」を意味し,行動科学の知見の活用により,人々が自分自身にとってより良い選択を自発的に取れるように手助けする政策手法のことです※1。従来,公共政策の分野では,法規制,経済的インセンティブの付与,普及啓発活動などによって人々に選択を促す手法が多く用いられてきましたが,最近,欧米を中心に政府や自治体がナッジを活用し,人々に公共の利益になる選択を促す動きが広がりつつあります。

日本においても,環境省が日本版ナッジ・ユニットを設置するなど2,その活用が進められています。特に昨今の新型コロナウイルス感染症対策では,人々の自発的な行動変容や対策が求められるため,ナッジへの期待が一層高まっています。しかし,ナッジを活用している地方自治体はまだまだ少なく,活用に至った自治体も手探りの状態が続いているのが現状です。

 

【ナッジを用いた施策で実績のあるつくば市】

そこで今回,令和2年から3年にかけてナッジを活用した取り組みを行い,環境省等が主催する「ベストナッジ賞コンテスト2021」で大賞(環境大臣賞)を受賞したつくば市を取材しました。受賞した取り組みでは,市民に回答を依頼する封筒を郵送した際の返送率を向上させるため,市民を4つのグループに分け,それぞれに異なるメッセージを印字した封筒を郵送してみたところ,「〇年〇月〇日までにご返送ください」と返信期限をはっきり印字したグループで返送率が高くなることが明らかになりました(写真2,図1)。

写真2:封筒に貼る宛名シール下部にナッジを活用したメッセージを印字した。

(つくば市プレスリリースより引用https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000350.000028199.html

図1:動作指示(返送期限)を入れたグループの返送率(52.8)は,メッセージを
入れなかったグループ(統制群)と比べて13ポイント高くなった

(つくば市プレスリリースより引用https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000350.000028199.html

また新型コロナウイルス感染症対策として,来庁者の消毒実施率を上げるための実験も行っています。他の自治体の先行事例やナッジ理論を参考に試みたところ,風除室の消毒台を来庁者の動線上に設置した場合と,警備員による声かけを実施した場合に実施率が高くなることが明らかになりました。

 これらの取り組みの影響について,つくば市役所統計・データ利活用推進室の室長廣瀬勲さんと主任の金野理和さんに伺いました。金野さんは「〔目に見える効果が表れたため〕庁内全体で,ナッジを活用する雰囲気が出てきた」と言います。事例が職員に共有される中で,金野さんや廣瀬さんのようなつくば市の政策イノベーション部が主催するナッジ勉強会の参加者に相談すると解決してくれるようだという雰囲気が出てきたそうです。また,行政文書を作成する際,簡潔さやわかりやすさを重視する意識が生まれてきました。ナッジを取り入れる目的が共有され,職員一人一人の意識が変わっていくことが重要なのだとも考えられます。

 

【ナッジ導入における自治体としての難しさ】

 一方ナッジは,人々の直感的な思考を利用し,対象者に介入を意識させずに行動を促すため,倫理的な懸念もあります。つくば市では,研究における倫理チェックリストを実際の政策現場向けに設計しなおし,細心の注意を払ってナッジの実践を行っているそうです。

 ナッジの効果を適切に評価するには,厳密に介入を行う必要がありますが,特定のグループが不利にならないよう対策する必要もあります。例えば,封筒の返送率についての研究では,印字内容によっては,返送率が低いグループが生じると考えられました。そのため「返送率が低いグループには職員が直接電話する」といった対策を事前に徹底的に洗い出したそうです。

 効果検証の影響は市民だけでなく職員にも及びます。ナッジを用いた何らかの施策の効果を数値として可視化した場合,十分な効果が現れない場合もあります。「もしある施策で効果が無いということがわかったなら,それがわかって良かったね,という雰囲気を〔その部署で〕作っていかなければならない」と金野さんは言います。また効果検証のための数値化には通常業務が増える側面もあるため,職員同士の理解や気遣いがとても重要となります。

 

【日本の自治体とナッジの未来】

 これから先,より多くの自治体でナッジを含めた行動科学に基づく手法の活用が期待されます。その中でまず大事なのは「職員が楽しむことではないか」と金野さんは言います。その方がより柔軟に発想ができ,より良い施策の実現に繋がるでしょう。加えて,課題がまず先にあり,その解決手段の一つとしてナッジが使えることが大切です。廣瀬さんは「ナッジを使うことが目的にならないことが大切」と話していました。

 市民が市役所に相談したいと思っているときに,複雑で分かりにくい手続きが必要であったり,またそもそも市役所で扱ってもらえるのかがわからなければ,問題の解決は望めません。「ナッジの考え方が庁内全体に広がり,〔いろいろな仕組みが〕スッキリすれば,〔市民が〕わざわざ調べず目の前の選択肢を選ぶだけでよくなる」と金野さんはナッジを活用する未来を展望します。

つくば市の職員の方々は,全国の自治体職員の方々と同様、市民の幸せに寄与したいと強く思っています。現在,自治体同士でのノウハウや事例の共有,NPO法人や大学の研究者との協力など,各所の連携が進みつつあります。行政からメッセージがどのように届き,それを受け取った自分がどう行動するのかに注意してみると,自治体職員の方々のアツい思いを感じることができるかもしれません。今後ナッジの活用はさらに広がり,生活の様々な場面で人々を支えるようになるでしょう。

写真3:つくば市役所の政策イノベーション部が主催する「ナッジ勉強会」に参加し,
ナッジの推進を行っている統計・データ利活用推進室室長の廣瀬勲さんと
主任の金野理和さん

※1 環境省HP http://www.env.go.jp/earth/ondanka/nudge/nudge_is.pdf