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【レポート】自然を感じるセンスを育てる 〜視覚障害教育から生まれたネイチュア・フィーリング〜

2024年1月22日 16時51分

生命地球科学研究群 生物資源科学学位プログラム M1 熊谷彩純

目の不自由な人はどのように理科を学び、どのように自然観察をしているのでしょうか?鳥山由子先生は盲学校で理科教育に携わる傍ら、五感を使って自然を感じる自然観察会「ネイチュア・フィーリング」の発足と発展に関わりました。本記事では、日本特殊教育学会の常任理事も務めた鳥山先生の視覚障害教育への思いと、ネイチュア・フィーリングを精力的に行う原動力に迫ります。

 

盲学校での理科実験

皆さんは目の見えない生徒達がどのように理科を学んでいるかご存知でしょうか?盲学校の理科教育では、通常の学校と同様に実験が行われています。とはいえ、目が見えなくても安全に科学現象を学ぶことができるように様々な工夫がされています。

例えば、高校理科で定番の中和滴定の実験は、通常はpH変化を指示薬の色の変化で確認しますが、目の不自由な生徒は色の変化を確認できないため、光の明暗を感光器の発信音の高低で示す「感光器」という道具を用います。指示薬の色の変化を聴覚情報に変換し、pH変化を確認するのです。ただしこの場合、指示薬の色ではなく、反応による指示薬の明暗の変化を手がかりにするため、酸性とアルカリ性で明度が大きく変わる指示薬を選ぶ必要があります。例えば、リトマス試験紙は、酸性色とアルカリ性色で明度差が少ないので、感光器を用いた観察には向きません。BTB溶液やフェノールフタレインのように、明度差が大きい指示薬を用います。

また、浸透圧の実験では、塩酸で卵の殻を溶かし、裸出した卵殻膜を通して水が浸透する様子を指で観察します。その後、浸透しきった段階で膜を針で刺し、水が噴出するのを手で感じることで、浸透現象そのものを感じられるようになっています。

2023_最終版_図1_熊谷彩純

図1:感光器を用いて試験管内の液体の明度変化を調べる様子(鳥山先生提供)

2023_最終版_図2_熊谷彩純

図2:卵を使った浸透圧実験。写真は、塩酸ではなくレモン果汁で卵の殻を溶かしたもの。
水に入れておくと卵殻膜を通して水が浸透し、爪楊枝で刺すと水が噴き出てくる。

 

感覚を働かせる自然観察

盲学校の理科の授業では、自然観察も行われています。鳥山先生は、盲学校の生徒達との自然観察のエピソードを生き生きと語ってくださいました。

鳥山先生が盲学校で植物観察の授業をしていたとき、一人の生徒が、タンポポの株の中に開いている花と閉じている花があることに気付きました。その生徒は、閉じている花は、これから開く花か、あるいは咲き終わって閉じてしまった花かのどちらかだと考え、花が咲く前と咲いた後で、どのような違いがあるのかに興味を持ちました。それからその生徒は、多くのタンポポの茎を触り続け、「咲く前は茎が細く、咲いた後は茎が太い」という発見をしました。実はその生徒は以前から、同じタンポポの株の中でも茎の太さに違いがあることに気付いていましたが、継続的に観察したことで「花が咲く前か後か」という疑問に「茎の太さの違い」が結びついたのです。

他にも、鳥の鳴き声でおおよその時間がわかったり、葉の揺れる音で木の葉の大きさを感じたり、香りのする木をすぐに見つけられたりと、盲学校の生徒たちは、五感を使って自然を観察する力がありました。このような盲学校での自然観察の経験が、「ネイチュア・フィーリング」に活かされています。

2023_最終版_図3_熊谷彩純

図3:3年前撮影の筑波大学構内のタンポポ。次にタンポポを見かけたら茎の太さを触り比べてみたい。

 

いつでも、どこでも、だれとでもできる自然観察会

ネイチュア・フィーリングは、五感を使って自然を感じる自然観察会として、1988年に日本自然保護協会の活動として発足しました。その10年前の1978年に発足した、自然観察指導員による自然観察会は「いつでも、どこでも、だれとでも」を合言葉に身近な自然の尊さを伝え、人々の自然保護の気持ちを育てることを目的としていました。しかし、自然観察指導員発足から5,6年経った頃「『いつでも、どこでも、だれとでも』を合言葉にしているが、実際に目が不自由な人が参加するときどのように対応すればよいか分からない」という相談が日本自然保護協会に寄せられるようになりました。

そこで、からだの不自由な人との自然観察会を行う場合に必要な、安全面での注意点や自然観察会での配慮事項などを、当時、盲学校で教諭をしていた鳥山先生など、障害ごとの専門家が担当して執筆しました。また、からだの不自由な人たち(目の不自由な人、耳の不自由な人、身体の不自由な人)の座談会を行い、そこでの意見・要望なども大切にして、日本自然保護協会編 フィールドガイドシリーズⅣ「ネイチュア・フィーリング―からだの不自由な人たちとの自然観察―」と名付けた書籍が発行されました。

 

自然には互いの視点を分かち合えるだけの包容力と多様性がある

こうして、「からだの不自由な人たちとの自然観察会」として誕生したネイチュア・フィーリングですが、からだの不自由な人だけを集めて自然観察を行うことが目的ではありません。鳥山先生は、からだの不自由な人もそうでない人も一緒に自然観察を行うことで、互いに利益のある自然観察会になると言います。からだが不自由でない人にとっては、先述の盲学校でのタンポポの観察のような、からだの不自由な人の視点から捉えた新たな自然の一面に出会うことができ、からだの不自由な人にとっては、一人で自然の中に入ることは容易ではないため、サポートする人がいることで自然に触れる機会を作りやすくなります。

参加者の個性を活かした自然観察をするために、ネイチュア・フィーリングは解説型ではなく五感で自然を感じる方法がとられています。鳥山先生は「からだの不自由な人をサポートする人も、新しい視点からの新鮮な発見と出会うことで、すごく楽しい経験になればいいなと思っています。それぞれの視点を分かち合えるだけの自然の包容力と多様性の中で、五感を使って自然観察をいつでも、どこでも、誰とでも行える点がネイチュア・フィーリングの本質であり、魅力です」と語っていました。

 

理屈だけでなくセンスを育てる

視覚障害教育とネイチュア・フィーリングの両者の発展を支えてきた鳥山先生の原動力は、「自分がやりたい授業をして、生徒が伸びる嬉しさ」だと言います。鳥山先生のやりたい授業とは「理屈だけでなく当たり前の感覚や物を扱うセンスを育てる授業」です。

例えば、熱して昇華したヨウ素をできるだけ早く回収する方法を問われたとき、「ヨウ素は常温で固体」という理屈を知っていても、「温めて昇華させたなら冷やしたら回収できるだろう」という感覚がなければ、正しい解答をすることはできません。この「センスを育てる」という思いが、盲学校における理科教育のノウハウが少なかった頃から、鳥山先生が積極的に授業に実験を取り入れてきた理由です。「実験をしない理科は、実技をやらない体育、歌を歌わない音楽、絵を描かない美術と同じ」だと言う鳥山先生は、現在も盲学校の理科教諭の後進育成や、全国の目の不自由な児童への出張授業に力を入れ、センスを育てる教育の輪を広げています。

また、「理屈だけでなく、センスを育てる」は、ネイチュア・フィーリングの活動の基本である、自然保護の気持ちの育成にも通じています。鳥山先生は、自然保護の重要性は言葉で伝えるだけでは不十分で、自然体験を通じて身に付くセンスの様なものだと言います。「今日、自然観察に行ったから何かを知ったというのではなく、いつも自然の中に入って、日々の少しの違いに気づいてほしい。そういう経験のある人は、簡単に自然を壊そうとは思わない」という鳥山先生の考えが、ネイチュア・フィーリングを定期的に開催する理由となっています。

 

これからのネイチュア・フィーリング

自然に触れたい思いはあっても、山に行くのは時間面や体力面で厳しいと考える人は多いのではないでしょうか。現在のネイチュア・フィーリングは、「誰にとっても有効なネイチュア・フィーリング」として、開催場所を新宿御苑などの交通の便が良い公園にしたり、からだの障害や知的障害の有無、年齢に関係なく参加しやすいよう柔軟な観察ルートを設定したりと、多種多様な工夫が行われています。

鳥山先生は「いつの日か、日本自然保護協会の自然観察会は、いつでも、どこでも、『気が付いたら、からだの不自由な人もいた。みんなで五感をフルに活用して自然を感じた』という観察会になってほしい。そのときには、『日本自然保護協会の全ての観察会がネイチュア・フィーリングだ』と言えるだろう」とこれからのネイチュア・フィーリングについて語ります。

さらに鳥山先生は、身近な街路樹一本をじっくりと見てみる、近所の公園に行って耳を澄ませてみる、だけでも自然観察ができることを教えてくださいました。ネイチュア・フィーリングからヒントを得て、身近な自然を、五感を使って観察してみると、これまで気付かなかった新鮮な発見が得られるかもしれません。

2023_最終版_図4_熊谷彩純

図4:筑波大学構内にあるプラタナスの木。
近くで見ると樹皮が剥がれていること、葉を触るとツルツルしていること、落ち葉を踏むとシャクシャクと音がすることがわかる。

2023_プロフィール画像(鳥山由子)_熊谷彩純

プロフィール
鳥山由子
全国高等学校長協会入試点訳事業部 理事
一般社団法人日本特殊教育学会 名誉会員