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【レポート】景観・緑地保全と人と自然環境との関わり

2014年7月24日 11時10分

201472日から4日に「景観・緑地保全論」が行われた。初日・2日目は景観・緑地保全の概要と農林水産業の景観保全に関して講義があり、3日目に石岡市八郷地区における茅葺屋根の民家と、茅の供給源となっている高エネルギー加速器研究機構内の茅場を見学した。




 景観・緑地保全に関する概念や手法について、とくに景観については、その概念の幅の広さゆえの規制することのむずかしさを感じた。景観においては文化的景観など、文化財保護の視点からも重要な要素である。緑地も景観とは切り離して考えることはできない。そういった意味では景観・緑地というものを、文化財を取り巻く空間としてとらえることによって、“文化財保護”という視点からその保全に取り組んでいける可能性を感じた。

 現在、景観・緑地に関する法制度はいくつかある。法律で規制されることは景観・緑地保全において、開発を阻止することが可能となるなどある一定の効果があることは確かである。しかし、法に担保されて守られているだけの景観・緑地は本来の意味での景観・緑地保全とはいえないのかもしれない。私が授業を通して強く感じたのは、景観・緑地保全を考えるということは、人(社会)と自然環境の関係性を考えていくことなのだ、ということである。地域住民とその土地との結びつきが深ければ、それはそのまま景観・緑地が保全されているという状態なのではないだろうか。

 時代や生活様式の変容によって、人(社会)と自然環境との関係性は失われてきている。そのために現代社会は、景観・緑地保全のためのさまざまな制度を必要とするのであるが、それだけに頼って守っていくのではなく、今の時代に合った人(社会)と自然との関係性を築いていくことが重要であるし、それが成り立っている空間こそが本来の意味での理想的な景観・緑地保全のすがたであると感じる。

 

 授業で紹介された白川村の合掌造り集落において、合掌造りの家は文化財として維持保存が行われているものの、本来合掌造りの家と関連して成り立っていた林業や農業、日常生活やコミュニティのあり方というものはすでに変化してしまっており、その関係性は希薄化あるいは失われてしまっているということであった。映像でみたムカデやニュウ、ホエなどは人と自然との関わりが密接だったなかで自然に生まれたものであり、その知恵や生きる力のようなものは、現代に生きる私にとってとても尊いものである。

 私は工芸分野で学んだ経験をもつが、工芸分野においても伝統的な技や意匠は地域性や自然との関わりのなかから生まれ発展してきたものであった。そのようななかでこれまで伝統として先人たちに受け継がれてきた伝統的な技法や意匠などを、今という時代に生きている自分が表現する意味を考え表現することが常に求められた。工芸分野における制作・表現活動において、伝統をそのまま表現するのではなく、現代の視点で捉え直していく作業が必要であるということは、手法は違えどどの分野でも必要とされていることなのではないかと感じている。景観・緑地保全や文化財保護の分野においても、人間と自然という関係性を現代の視点で捉え直して、実際にどういうかたちをとっていくのか考えていくことが求められている。

 

 今回見学させていただいた八郷地区の茅葺き屋根の茅は、高エネルギー加速器研究機構の茅場があってこそ茅の供給ができているが、全国的にみれば茅場の減少や葺き替えの負担が茅葺き屋根の保存にとっての大きな問題点になっているということであった。昔は、葺き終わった茅を肥料に使ったり、茶畑に敷き詰められたりと屋根以外の様々な用途で使用されており、茅がどこにでも生えていて、葺き替えも地域全体で行うものであったため家主の負担もそれほどではなかったという。



 文化財としての“モノ”が残っているということは最優先に重要なことである。しかし、茅葺き屋根が抱えている課題にもいえるように、文化財を単体として捉え保存するだけでは、その保存がむずかしくなってしまう場合がある。とくに人の活動と自然環境の密接な関係性によって生み出されたようなものの場合には、その文化財を取り巻く様々な事象とうまく関連づけられれば、その関連のなかで保護も自然と成り立つのだろう。昔はそれが自然と成り立っていたのであろうが、今求められるのはそのような仕組みを新たに作りながら維持していくことである。人間の生活する空間と自然環境を切り離してそれぞれを維持保存していこうとするのではなく、両者の関係性(結びつき)を前提のものとしながら、とくに人の側から自然環境をどうとらえていくのかということが、景観・緑地保全の目指すところだと感じた。




福田藍