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2018/12/17

【レポート】気づいて、触れて、感じることが地域を豊かにする

| by 事務局
『「気づいて」、「触れて」、「感じる」ことが地域を豊かにする:筑波山梅林の復興の例から』

生命環境科学研究科 地球科学専攻 阿部紘平


<筑波山梅まつりと梅林>

 今年で45回目を迎える筑波山梅まつりが、2018年2月14日から3月21日の約1か月の間開催された。メイン会場である筑波山梅林内には白梅・紅梅・緑がく梅などの梅が約1000本ある。関東近郊の梅の名所として知られる茨城県水戸市の偕楽園の梅とは異なり、筑波山梅林では剪定によって樹高が低く抑えられている。そのため、文字通り目の前にある梅の花(写真1、2)を見て、香りをかぎ、散策することができる。

 
写真1 園内の梅(筆者撮影)  写真2 園内のろう梅(筆者撮影)

 また、茅葺の展望四阿(あずまや)からは一面に広がる梅の花を望むことができ、春の訪れを感じるとともに気持ちも明るくさせてくれる。さらに筑波山周辺の田園風景、好天時には富士山や東京スカイツリーまで見ることができ、開放感もある。これらも展望四阿からの景色の魅力である。期間中は梅茶のサービスも行われており、園内で行われるお茶会に参加すれば梅に包まれながら抹茶を楽しむこともできる。筑波山の名物であるガマの油売り口上も見ものである。

 筑波山梅林は、1965年に市が梅を特産品とするために既存の松林を開墾して3000本ほどの梅の木を植えたのが始まりとされている(詳細な資料は残されていない)。しかし、その後の人手不足により管理が行き届かなくなったため、梅林は過密状態となり、枝は迷走し、下枝にいたっては枯死してしまうなど、ひどく荒れている状態だった。梅まつりも1970年代から始まっていたが、梅の花の期間のみ若干にぎわう程度だったという。
 そこで、2000年に当時のつくば市長が観光事業の一環として、この梅林を再生するプロジェクトを立ち上げた。これより約10年という歳月をかけて再生されたのが現在の筑波山梅林の姿である。


<地域の力で取り組んだ筑波山梅林再生プロジェクト>

 私は自然保護寄付講座で学ぶ中で、高山植物や農作物が野生動物によって受ける獣害を防ぐ取り組みや、各地のジオパークを維持し、その価値やすばらしさ、面白さを伝えようとする取り組みに関わる人々、また自然に触れその楽しさを伝えようとする人々の熱意や苦労を知っていった。それを通して、ある自然を保護するということは、保護したい自然に対する、地域の人々の認識や関わり方が重要だということを感じていた。そんな中、「生態系の保全と復元」という授業における講義での、筑波大学名誉教授である鈴木雅和先生のお話に非常に興味を持った。それは、筑波山梅林再生プロジェクトについてのお話で、手入れが行き届かずに荒れ果ててしまいそうだった、梅林というつくばに古くからある魅力ある地を、つくば市に暮らす人々が再生して守ったというプロジェクトだった。

 これはまさに、今自分が重要だと感じていたことそのものだと思った私は、今回この筑波山梅林再生プロジェクトを取り上げ、プロジェクト立ち上げ当初に市役所職員として担当された渡邊俊吾さん(現:つくば市経済部産業振興課)と、現在梅林の管理を担当する貝澤毅さん(現:つくば市経済部観光推進課)にお話を伺うことにした(写真3)。

写真3 お話を伺った渡邊俊吾さん(左)と貝澤毅さん(右)

 筑波山梅林再生プロジェクトは、つくば市と筑波大学が共同という体制で進められた。筑波大学からは鈴木雅和先生を中心とした3人の先生方が、市役所からは前述の渡邊俊吾さん(当時は、つくば市商工観光課)が担当となり、筑波山梅林の再生に取り組んだ。このように官学が共同となって一つのことに取り組むという体制は当時としては非常に珍しく、つくば市としても初の試みであった。

 冒頭にも述べた通り、当時の筑波山梅林は梅の花が咲いている約2、3か月の間しか注目されていなかった。しかも、手入れが行き届かずに方々に伸び放題となった梅の樹は、このままでは花も咲かなくなるのでは、ともいわれていた。そこでプロジェクトでは、梅の花がこれからもずっと咲き続け、そして花が咲いていない新緑の時期や実のなる時期にも楽しめる梅林を目指すこととなった。そのために最初に取り組んだのは、伸び放題となってしまった梅の樹の大規模な剪定作業であった。

 東京出身で就職を機に茨城に移り住んだ渡邊さんが梅林再生プロジェクトの担当者となったのは、入職からまだ5年目のときだった。若くて、林業や農業の知識もなかった渡邊さんは、プロジェクトの計画そのものには意見を出せるような立場にはなく、プロジェクトは先生方が主導となって進められた。

 渡邊さんは当時の様子を次のように語ってくれた。「剪定といっても、盆栽を扱う時のような小さなハサミではないのです。信じられないかもしれませんが、チェーンソーで太い枝もバッサバッサと切っていきました。最初は、本当にこれで再び元気に咲くようになるのか、咲かなくなるのではという不安も大きかったです」。プロジェクトが始まった最初の3年くらいは、渡邊さんと同じように、不安を感じた市民の方々からの苦情も非常に多かったという。

 梅の樹の特徴や剪定なども含めて、専門知識は先生方から常に教わる日々だった。それでも自分にも何かできることはあると考え、予算の確実な確保や、通常は業者さんが記録する事業記録書の作成を行い、また梅林を心配する市民の苦情にも対応するなど、先生方がプロジェクトを進めやすくなるように奔走した。

 しかし、そうした日々を送る中で変化が起こる。「先生方から教わって、梅について少しずつ知っていくと、梅に対する興味が湧いて、面白いな、楽しいなと思うようになったんです。そうしたら次は、実際に剪定をやってみたくなりました」。そう思った渡邊さんは小さなハサミを使って、しかもあまり目立たないところで、実際に剪定をやってみた。「するとこれが意外と楽しくて、自分でやったものをお客さんに見てほしい、そう思うようになりました」。

 そのように感じた渡邊さんは梅まつり期間中も剪定をしに現地に赴いた。その姿に気づいたお客さんから梅について尋ねられることもあった。その時は梅の性質や特徴、剪定の仕方、自分で梅の木の世話をして感じた楽しさを伝えた。また、自分が剪定した樹から咲いた花の香りをかいで楽しんでいるお客さんの姿を目にすることもあった。梅林を訪れたお客さんがどのような反応をしているのかを実際に見ることができて、渡邊さんは非常にうれしくなり、またそこにプロジェクトのやりがいや梅林を復活させたい、という思いを強く感じるようになったという。

 また、自分で梅に触れて作業をするという経験を通して、あるアイデアが生まれた。それは梅の苗木の販売である。都心部の人やあまり植物に触れる機会がない人たちも、実際に梅のお世話をやってみたら面白いと思ってくれるのではないか、もっと梅林に足を運んでくれる人が増えるのではないかという考えからだった。これは好評だった(現在は実施されていない)。

 さらに、より梅を感じることができる企画はないか、と考えるようになった。例えば、収穫した梅の実を使った梅干し作り体験や、剪定した枝を用いた草木染体験などができるようなれば、梅をもっとたくさん、そして通年で楽しんでもらえるのでは、と思いついた。

 その他にも先生方を中心にプロジェクト全体で様々なアイデアが提案された。実は万葉集には筑波山を詠んだ歌が16首と、富士山よりも多く詠まれている。そこで、古くから人々に親しまれてきた筑波山を通して、「にっぽん」を感じることができるスポットとして筑波山梅林を整備することが計画された。日本に古くからある萩や紫陽花などを植えたり、つくばに現存する古民家を梅林近くに移築し宿泊施設としたりするなどのアイデアが生まれた。茅葺の展望四阿もこうしたアイデアのもとに作られた。


<成功したプロジェクトと役所としての課題>

 数年に及ぶ取り組みの結果として現在の梅林がどのように生まれ変わったかは冒頭に述べた通りであり、その姿はプロジェクトの成功を示している(写真4)。しかし、その一方で梅干し作りや草木染の体験、古民家の移築など、当時の計画の中には実現できなかったものもある。

 プロジェクトが一通り完了するまでの約17年の間に、渡邊さんも含めて数年おきに市役所の担当者が入れ替わり、計5~6人がこのプロジェクトに携わった。現在の担当者である貝澤毅さんは、次のように話す。「当時の計画書が5年の保管期限を過ぎたことで処分されてしまったのです。後任の担当者は当時目指していた詳細な計画が分からないまま引き継いでいったため、計画が少しずつ変わってしまっています。この点は役所としての反省点であり、課題点です」。いまでも、日本を五感で感じることができる梅林にするという当時のコンセプトはできるだけ残し、本筋は外れないように管理しているものの、担当者の入れ替わりと計画書の保管期限のために詳細は分からなくなり、どうしても当初の計画から少しずつ変わっていってしまう。

 しかしだからと言って、変わることが全くもって悪いことだ、とは言い切れないと渡邊さんは言う。「時代が変われば良いとされる考え方も変わるし、なにより、担当している職員にはそれぞれ、やらなければならないことや、熱意をもってやりたいことがあります。それらに自由に取り組むために、時には過去の計画が分からない方がやりやすい場合もあります。それでも、プロジェクトを通して一本の道筋が通っていることは重要です」。

 現在、貝澤さんは梅まつり期間外にも筑波山梅林や周辺地域を楽しんでもらえるような整備計画を練っている。梅林の麓に整備した森林体験パークフォレストアドベンチャーはその計画の一つである。
 このように、計画そのものは当初から少しずつ変わってきてしまったかもしれないが、渡邊さんから始まった筑波山梅林への思いやプロジェクトに対する熱意は、確実に引き継がれている。だからこそ、私たちは今日の美しい梅林の姿を見ることができるのだ。


<地域にとっての魅力>

 プロジェクト発足当時、地元の人にとって筑波山梅林はそれほど大きな魅力ではなかったようだ。「実際、職員の中には梅林を“あんなもの”と表現する人もいました。ですがそれは裏を返すと、筑波山や梅林は市民にとってそのくらい当たり前の存在だったということです」と渡邊さん話す。貝澤さんも次のように話している。「私は趣味で登山をするので、筑波山にはよく登ります。しかし、同じ市内出身者でもそうした趣味がない人にとっては、眺めはするけれど、登る山ではないという認識のようです」。

写真4 展望四阿から見た梅林とつくばの街(筆者撮影)
     少し時期が早かったため、梅はまだ咲始めたばかり。

 そんな状況で、筑波山という自然の存在を新鮮に捉えることができた渡邊さんのような市外出身者の視点は、梅林の再生プロジェクトを柔軟に進める上で重要だった。

 プロジェクト開始から5年ほど経って、渡邊さんは担当を次の人に引き継ぐこととなってしまうが、梅への思いは持ち続けている。当時実際に触れ、作業をすることで学んだ梅の剪定作業は今でも覚えているという。

 「プロジェクトに取り組む先生方との日々が新鮮で、あらゆることが非常に勉強になりました。なにより、取り組んでいて自分自身が楽しかった。その時に学んだ考え方、楽しかったという経験はその後の仕事にも生かされています」と最後に渡邊さんは話してくれた。


<「気づいて」、「触れて」、「感じて」、「伝える」>

 今回のインタビューを通して印象的だったのは、筑波山あるいは梅林に対する地元の人と地元外の人の視点・認識の差と、その差があったからこそ生まれた、地域の魅力に対する気づき、さらには実際に梅という自然に触れることで楽しさや面白さを感じ、それをみんなにも感じてほしいと思うようになったという渡邊さんの体験談だった。

 どんな地域にも魅力はある。鍵となるのは、それに気づくことができるかどうか。気づくことで初めて、それを守り、維持しようという思いが生まれるからだ。当時の市長や市外出身の渡邊さんが、筑波山梅林の魅力に「気づき」、プロジェクトに熱心に取り組むことがなければ、梅林も今頃は枯れてしまっていただろう。

 また、単なる知識としての重要性ではなく、実際に触れて感じることから得られる感覚というのは、最初の気づきになりうるだけではなく、その気づきを人々に伝播させる上で大きな原動力ともなる。自分が体験して楽しいと思うことで地域の魅力に気づく。そして楽しかった思い出は人に伝えたくなる。そうした気づきと楽しさが連鎖して、地域の魅力の発信と維持に結びつく。

 本記事で「気づくこと」 と 「触れて感じること」 の大切さを少しでも伝えることができていたら幸いである。
 筑波山梅林は現在、通年で楽しめるように、さらに梅林を足掛かりに筑波山全体を楽しんでもらえるように新たな案を計画中だ。知らなかった方や訪れたことがない方はもちろん、訪れたことがある方も、筑波山、そして梅林に是非足を運んでみてはいかがだろうか。その一歩は皆さんの地域や心を豊かにする新たな「気づき」に導いてくれるかもしれない。


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