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2020/10/22

【レポート】紡ぐ香り、香る風景

| by 事務局
紡ぐ香り、香る風景-愛媛県大三島の柑橘農家が挑戦する香りの無限性-

人間総合科学研究科 世界遺産専攻 濱久保衛

江戸末期、船で往来する欧米人らによって瀬戸内海の風景は称賛された。以降、優れた風景地を指定する国立公園の第一号となるなど、確かな風景美が存在する。一般に風景とは視覚を通じて認識されるものであるが、そうと限るわけでもない。「香り」である。花の香り、葉っぱの香り、実の香りなど様々な香りが存在するが、そこから想起される風景もある。この香りに秘められている可能性を模索し挑戦を続ける、とある柑橘農家に取材を申し込んだ。

都会から移住し柑橘農家になるまで

広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ道、しまなみ海道。今治をスタートして、2番目の伯方(はかた)島から大三島大橋を渡ると3番目の島が大三島(おおみしま)である。芸予諸島の中では最大面積を誇り、そこには約6,000人が住んでいる。日本総鎮守に定められた大山祇神社がある「神の島」で知られる一方で、温暖な気候を生かし、みかんを中心とした農業が盛んな島である。

大三島最高峰の鷲ヶ頭山(わしがとうざん)から見た瀬戸内海。正面は広島県大崎上島

現在、大三島で柑橘栽培を営む松田康宏さんは、2012年に夫婦ともに千葉県から移住した。当初は、今治市の地域振興事業を委嘱された「地域おこし協力隊」として赴任していたが、離任後、2013年より柑橘農家として新たなスタートを切った。もともと、農のある暮らしを望んでいた松田さんは、移住した最初の1年で耕作放棄地を借り受けることで、約40aの農地を所有する農家へと転身したのである。
 
5月には咲くみかんの花

草刈りや収穫、剪定、摘果など年間通じた作業がある中で、松田さんの農業に転機が訪れたのは初夏の風が爽やかな5月のことである。島のいたる所でみかんの花が咲いていた。島中が花の甘い香りに包まれるのである。この時松田さんは、花や果実など柑橘のそれぞれの部位の香りを「形」にできないかと考えていた。

その方法として辿り着いたのが香りを油として抽出する「精油化」である。

抽出には、中学生の理科の実験でも行う水蒸気蒸留法を用いた。蒸留器によって香りを抽出するのであるが、ボイラーによって熱せられた花の香り成分は気化する。その後冷却することによって精油(アロマオイル)を得ることができる。またこの時、精油だけではなく芳香蒸留水と呼ばれるフローラウォーターも併せて抽出される。これは化粧水の原料にもなるので、製品化することで余すことなく利用している。
 
実際に使用している精油の蒸留器具

疾患患者のための緩和ケアにもなる

こうして製品化した後は、販売経路の確保が必要となる。食べるものを生産する通常の農家とも異なるので販売経路も異なる。

お客様で多いのはセラピストで、特に広島や岡山など瀬戸内に面するところに住んでいることが多いそうだ。アロマオイルはセラピストの商売道具であることから当然のことではあるが、松田さんのアロマオイルは地産であることが売りである。香りが豊かなことはもちろんであるが、セラピストが「このオイルは愛媛県の大三島のみかんから作られたのです」と話すことで、お客様も香りに由来する風景が浮かび上がってくるのである。香る風景とともに施術中に話が弾むそうだ。

最近は疾病患者への効果も期待され、病院も販路の一つになっているという。リラックス効果などももちろんあるが、その場所に行かずとも香りを嗅ぐことによって疑似体験が可能となり、緩和ケアとして効果を発揮しているという。
 
松田さんが手がけている商品(アロマオイルや石鹸など)

さらに、松田さんは果実を使って精油製造以外の事業も行っている。通常の柑橘農家は、果実自体を販売している。一方、精油の精製では、果実をまるごと使うのではなく、皮だけを利用する。つまり、皮の内側である果肉部分は精油製造の工程には利用しない。そのため、松田さんは果肉部分を搾汁してジュースとして販売している。もちろん果実自体の販売も行っているが、見た目の規格があるため傷などがついてしまえば販売用として扱いづらくなる。しかし精油に関してはそのような見た目に関する規格はないため、効率良く用途分けすることが可能になるのだ。

柑橘類の花卉栽培という点でも合理的な方法であるといえる。柑橘栽培では、一本の木について適切な果実数にするために蕾や果実を間引く「摘蕾」や「摘果」を行うが、間引いた蕾や果実は通常であれば破棄してしまう。しかし、松田さんの場合は摘蕾した花や摘果した実も香りとして形を変え、有効利用している。そして、同じ木であっても、部位や時期によって香りが変わるので、精油化は合理的かつ有効な方法であることが窺える。
 
収穫した果実と松田さん

香りが紡ぐ新たなつながり

松田さんは今、将来的な農業のカタチについて新しいアイディアを実践している。「体験によって生まれるフードチェーン」である。生産者である松田さんが、消費者に生産者の考えや取り組みを共有する。その結果、商品や生産地に対して愛着が生れた消費者は、情報発信や交流など様々な形で生産に関わり、参加するようになるという仕組みだ。

つまり、フードチェーンによって、生産者と消費者が手を結び、より良いものを作る関係が構築されているのである。例えば、時には松田さんが島から出て産地直送イベントや東京のイベントで自ら販売し、時には蒸留所の見学会を開いて、アロマセラピストからの要望やアドバイスを受ける。日常的には離れている島であるが、このような体験を通じて多くの繋がりが生れていく。

大三島で生まれた香りはさまざまなものを紡いでいる。


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